「終わった人」(内館牧子 著)を読んで

2016.10.04 岡田定晴
 メランコリア(作曲:Amacha)

 書店で「終わった人」という本のタイトルを見て、インターネットで読者の反響を読み、久しぶりに小説に興味を持ちました。読みたいと思い続けてもなかなか決断できなかったのですが、やっと「終わった人」(内館牧子 著)を買って一気に読み終えました。一日もかからずにあっという間に。主人公の年齢や置かれた状況が近いこともあって、登場人物の気持ちや考え方、物語の展開が、実に身近で現実のように感じます。描写が実にリアルです。定年という現実を認識し、その後の生き方を考えさせられる小説でした。



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 組織のために、家族のために40年も働き地位や収入を得ても、定年を境にして会社の仲間や家族との関係に変化が起きます。まだ元気で、若い人には負けない実力があっても、苦労して築き上げた活躍の場は、後進に道を譲るために奪われてしまいます。主人公は定年後、幸運にもジムで知り合ったIT企業の若い社長から顧問として招かれ、経験や人脈を活かして再び第一線で活躍します。しかし、その若い社長の急死によって、周囲から請われて社長を引き受けることになりました。会社は、暫くは順調でしたが、ミャンマーにある顧客の企業が倒産したため、開発に費やした原価も回収できず、個人の資産でそれを充当することになります。主人公の古くからの友人たちの中には、地域に根差して生き生きしている者、サラリーマンを辞めて自分のやりたい道で成功している者がいます。「終わった人」になれば、誰も皆大きな差はなくなり、横一列になります。その着地点に至るまでに、華々しく活躍した人ほどその落差が大きいのです。

 年齢を重ねれば、専門能力を活かすよりは、行政職の地位を与えられ組織を任され経営的視点に立って仕事をすることになります。専門能力を磨くより、組織のために、後輩のために仕事をすることになります。しかし定年になれば、組織や地位は自分のものではありません。自分が手掛けて育てた人材や仕事は、後進たちが引き継いでいきます。小説の主人公も、経営者としてではなく、世間に通用する専門能力に立脚して仕事をしていたのなら、自ら新しい価値を生み出し社会の中でステータスを確保して生計を立てられることでしょう。高齢化が進むこれからの時代は、「組織や地位」のみに頼らず、自分の得意なことや世の中に通用する専門能力を伸ばし続けていくことが必要ではないでしょうか。本当の定年に向かって「軟着陸」するために。


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