給与が自動振り込みになったころ

2016.11.15 岡田定晴
 悲しい夢(作曲:Amacha)

 昭和50年(1975年)、社会人になって初めて給料は、「給料袋に入った現金」で支給されました。 「給料袋」の表面には、支給額や税金、年金、健康保険料、その他引去金などの明細が記載されていました。 その「給料袋」を配るのは部長でした。部長の手から直接、給料(現金)を受け取るので、ありがたいものであると感謝し、 部長の権威も大きなものに感じました。部長は、「給料日なので、今日は落とさないように、飲まずにまっすぐ家に帰ってくれ。」とよく言っていました。 また、ボーナス支給日などは、銀行の担当者が、定期預金の勧誘に来ていました。



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 給与が現金で支給されるので、自分で現金を持って銀行の窓口に行き、自分の口座に預けなければなりません。 また、公共料金は銀行口座から自動で振り込みができるようにはなっていませんでした。 電気、ガス、水道は、毎月メーターを読み取りに来る検針員がメーターの値を紙に書いて自宅のポストに入れていきました。 何日か後に集金員がお金を取りに来て、現金を支払っていたか、毎月それぞれの請求書(振込用紙)を持って、銀行で振り込み手続きを行っていました。 新聞や牛乳は、個別に集金に来ました。

 預貯金や払い戻し、振り込みなどは、キャッシュカードも現金自動預払機もまだ無かった時代なので、銀行の窓口に行って手続きをしました。 カードではなく、紙と銀行印の時代でした。 今は、キャッシュコーナーでほとんどのことが出来るので、窓口前の待合席で順番を待つ人もいませんが、当時は、混雑しているときは、 暫く待たなければなりませんでした。窓口はテキパキとさばいていて、処理されていく様子がわかるので、不思議に「待たされた」という感覚はありませんでした。
 毎月、銀行に行って、こうした作業をしなければならなかったので、かなりの時間を費やしていたことになります。 当時「自分は独身だから全部自分で対応しなければならないが、奥さんがいる人はこうした作業を全部頼めるのだろう。」と思ったりしました。

 銀行に行けば、当然金融商品のポスターやパンフレットを目にします。今ほど複雑ではなく、種類もわずかでした。 当時の定期預金の利率は、年7%でしたから、お金を銀行に預けておけば増えるという実感がありました。 インフレで、お金の価値が下がっているのかもしれませんが、額面は増えるので、貯金が減ったという感覚は全くありませんでした。 生活に必要な現金を普通預金口座に残して、ゆとりのあるお金は定期預金にしました。 お金が貯まっていくという実感がありました。郵便局の定額預金は半年複利でした。農林中金の割引債は一年後の満期に額面の金額が受領でき、 割引債はその利息分を割り引いた金額で購入できました。いずれにしても、金利が高かったので、少しでも有利なものを選びました。

 キャッシュカードと現金自動預払機が使えるようになったのは昭和52年(1977年)ころ、給料の自動振り込みが始まったのが昭和53年(1978年)、 給与明細を自席のパソコン端末で確認することになり給与明細書が印刷配布されなくなったのが平成14年(2002年)でした。 これによって、昭和50年当時と比べれば、会社側の手間も、自分自身の手間も大幅に減り、現金を数え持ち歩くこともなくなったので、お金に関する事故も減ったに違いありません。 ICT(情報通信技術)の進歩のお陰です。でも私の場合、給料を現金で受け取るという感覚、ありがたいという感覚は、仕事に対するモチベーションを確実に向上させます。 また、毎月、銀行の窓口に行って現金の預け入れや振り込み手続きを行うことが、貯蓄に対する意識の向上につながっていたように思えてなりません。 もう一度、あの感覚を味わってみたいものです。


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