ワープロが使われ始めたころ

2016.12.05 岡田定晴
 悲しい夢(作曲:Amacha)

 昭和60年を過ぎた頃から、NECのPC9801上で動くワープロ「松」(管理工学研究所)が、その後「一太郎」(ジャストシステム)などが使われ始めました。 また、図形作成ソフト「花子」(ジャストシステム)やデータベース「桐」(管理工学研究所)も、先進的な人たちが使い始めました。 その8年位前、私は、CPUやメモリなどの部品を買ってコンピュータを組み立て、機械語でプログラミングして、 将来はこの技術の延長線上にあると思っていたので、パソコンでこんなに凄い事ができるようになったと感激したものです。

写真:5インチフロッピーディスク  しかし、ワープロは、融通の利かない固定された枠の中に文字を埋め込んでいくような感じで、 文章の内容以外の基本的な体裁にも気を使って書かなければなりませんでした。 でも、それまで出来なかったことができるようになった効果は大きく、ワープロで文書を作って報告したり、提案したり、連絡文書を作成することが流行りました。 手書きの文書を作成することが苦手な自分でも、下手な字を人に見せなくてもよくなったことと、パソコンの発展に強い興味を持っていたことから、ワープロソフトを使って仕事を進めるようになりました。 記録媒体は、5インチフロッピーディスクでした。



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 平成になったころ、NECの文豪というワープロ専用機がありました。パソコンで動くワープロソフトではありません。 業務用として、このワープロ専用機が導入された時代があります。ここで作成したデータは、上位システムに入力されます。 まだ、コンピュータやキーボードに対してアレルギー反応を起こす人も居て、アルバイトを雇って、 手書きの文字を見てそれをワープロ専用機に入力させていた時代もありました。 当時、将来はワープロ専用機はなくなる、パソコンにワープロソフトで十分であり、キーボードも特殊なものでなくローマ打ちで十分と言われていました。 その後、時代はそのように動いていきました。記録媒体は、3.5インチフロッピーディスクでした。

 日本語の壁に守られて、アメリカ製のパソコンは日本には入ってこないと多くの人が思っていました。 しかし、同じく平成になったころ、DOS/Vパソコン(日本アイ・ビー・エムのPC用OS)で「日本語かな漢変換」が導入され、 日本語の障壁が無くなりました。即ち、アメリカ製のパソコンも日本語に対応できるようになりました。

 さらに1995年、それまでコマンドラインに命令を打ち込んでアプリケーションプログラムを立ち上げていたOS(MS-DOS) に代わって、マンマシンインターフェースに優れた使い勝手の良いWindows95が発売されました。このころから、ワープロは 「松」や「一太郎」に代わってMicrosoftの「Word」が普及しました。私は、慣れ親しんだ「松」を使い続けましたが、「Word」が 文章の体裁(行間・文字間隔・文字サイズ・文字数・上下左右の余白など)を文章作成後に自由に変更でき、文章の中身の作成に専念できるといった面で優れていたので、自然に「Word」に乗り換えていました。

写真:3.5インチフロッピーディスク  残念に思ったのはデータベース「桐」です。表形式と帳票形式で表示・入力が可能で、多くのデータベースを作成して便利に活用していました。 Windows95のEXCELやACCESSを使ってみたのですが、全く満足できませんでした。しばらく時間が経過してからWindows対応の「桐」が発売されたのですが、 PC9801のMS-DOSで動いていた「桐」のように使い勝手の良いものではありませんでした。当時の記録媒体は、3.5インチフロッピーディスクでした。

写真:MOディスク  その後、記録媒体は3.5インチフロッピーディスクからMOディスク、ハードディスク、USBメモリーやSDメモリー、更にクラウドのストレージへ進化。 ワープロは、オンプレミス/クラウド両刀使いが可能になって、現在に至っています。クラウド上のワープロは、複数の場所から 複数の人が同じ文章を見ながら、校正したり追加したりできるのですが、レスポンスが遅く、まだ改善の余地があるのではないかと思います。

 パソコンが日本語の壁に守られていた時代、日本にも「松」「一太郎」「花子」「桐」のような実用的なソフトが生まれていました。 日本語の壁が破られ、アメリカ製のパソコンが普及してWindowsの上でソフトを開発するというように環境が変わった途端に、 それまで綺麗な花を咲き誇っていた日本製のソフトが、急に枯れてしまったという印象が残っています。 急激に大きくなって、急激に小さくなてしまったのかもしれません。 このようなことから、「技術や市場の動向を見極めて対策を練ること」、「勝負の前提条件を変えてしまう程の大きな力を持つこと」は、 非常に大事なことであると思っています。目先の利益を生むために目の前の仕事に専念せざるを得ない状況では勝ち目がないと思うようになりました。


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