コーヒーブレイク:名古屋弁は消滅するのか

2017.01.24 岡田定晴
 懐かしい風情(作曲:Amacha)

名古屋城を望む  私は年に数回、名古屋に帰ります。平成の初め頃までは、名古屋駅を降りて地下鉄に乗れば、周囲の人が大きな声で名古屋弁を話していました。 若い人、高校生もそうでした。聴いていて思わず笑いそうになるのを、こらえていました。でも、最近はめっきりそれが無くなりました。 故郷に帰っても、東京にいるのとあまり変わりません。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。 名古屋を離れて41年。今では名古屋弁を話すことも無くなった私ですが、せめて故郷の名古屋では名古屋弁がしゃべられていて欲しいと願うのです。 このまま名古屋弁は消滅するのでしょうか。私は、方言の研究者ではありませんが、名古屋で名古屋弁がしゃべられなくなった理由について 思い当たるところをまとめてみました。



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○交通機関の発達で名古屋弁を話さない地域の人との交流が増えた
 新幹線のぞみで、首都圏との時間的な距離が短縮されました。また、在来線の乗車時間が短縮されたり、高速道路網が整備されるなど、 昔に比べて短時間での移動が可能になりました。この結果、名古屋弁を話さない地域の人が転入してきたり、一緒に仕事をする機会が増えました。

○名古屋弁を使うべき人が、意識的に名古屋弁を使わない
 この傾向は、私が子供の頃、今から50年以上前に既にありました。「恥ずかしいからそれ止めやー」とか「名古屋弁では女性にモテんぞ」とか周囲から言われて、 名古屋弁を話すことを多くの人が自らセーブしてしまいました。父が、「あーそうきゃーも」と言うのを母が聞いて、それを止めさせようとしていました。 関西弁を話す人は、どこでも堂々としていて、決して関西弁を捨てないのに。名古屋では「みゃーみゃー」言っていると、テレビで言われたことの影響も 大きかったかもしれません。

○全国的なチェーン店も多くあり、店員が話す言葉がマニュアル化されている
 使われる言葉だけでなく、アクセントも完全に標準語です。スターバックスに入ったら、東京と同じ言葉づかいで、メニューも価格も同じでした。 ブランド店、デパート、レストラン、居酒屋、専門店、・・・、どこに行っても名古屋弁を聞くことができません。 標準語は、センスが良く質が高い印象を与えます。名古屋弁で話したら、商品価値が下がって、お客さんが逃げてしまうかもしれないからでしょうか。

○インターネット、テレビ、新聞、ラジオなどのメディアの影響
 普段接するメディアでは、名古屋弁に接する機会が殆どありません。昔は、テレビもラジオもローカル放送では、多くはありませんが名古屋弁を聞く機会がありました。 名古屋の役者さんやタレントが、ドラマやラジオの生放送で名古屋弁を喋っていました。 しかし、今ではテレビやラジオでも昔ほど名古屋弁を聞きません。そして、地下鉄に乗れば、首都圏と同じように半分以上の人がスマホの画面を見ています。 twitterやfacebookやyoutubeでは、標準語に引きずり込まれていくのでしょう。若者同士の共通語が飛び交っているのでしょう。


 両親が健在な間は、「電話で両親と話したり、名古屋の実家に帰ると、いつの間にか名古屋弁を喋っていた。」と妻にからかわれたりしました。 が、もう話す相手はいません。先月、高校の同窓会がありましたが、友人が話している言葉のほとんどが標準語でした。 私の世代でこのような状況ですから、子供や孫の世代はどんどん標準語に近づいています。 地下鉄や喫茶店での会話を耳をそばだてて聴いていると、アクセントは名古屋弁のような感じですが、話す単語は標準語です。 喫茶店で、女性二人がWiFiの話をしていました。「やっと会社がWiFiを付けてくれた。」と、言葉もアクセントもほぼ標準語で話していました。 二人のとなりで、乳母車に乗った幼児が、不思議なくらいじっとスマホに目を凝らし、おとなしく動画を見ていました。 親も子供もこうですから、昔のように「ようよと、きゃーしゃが、ワイーフャー付けてちょーだゃーした。」とは、もう絶対に喋れないでしょうね。

 「こっちー いりゃー」「あんぼようやってや」「やっとかめだなも」「はよまわしせんか」など、 名古屋弁でなければ伝わらないニュアンスが失われていきます。そのことに多少なりともICT(情報通信技術) も関係しているのではないかということは、私を空しい気分にさせます。 私は社会人になると、名古屋を離れて名古屋弁も話すことなく、技術職としてICTにも深くかかわってきたからです。

 世界に約6000ある言語のうち約2500の言語が消滅の危機にあり、ユネスコの調査では、日本でも、アイヌ語や八重山語など 8言語が消滅の危機にあると聞いたことがあります。本州、九州、四国の方言は独立した言語と認識されていないため、 この中には分類されていませんが、なんとなく、ふるさとの言葉が消えていくような気がする今日この頃です。 消滅の危機にある世界の言語も、同じような理由で消えていくのでしょうか。 ふるさとの言葉を守るために、いったい何ができるのか。考え込んでしまいます。 いずれにせよ、名古屋市長がいくら頑張っても、多くの人が話さなくなった名古屋弁は消滅の危機 にあるのではないかと不安に思ってしまうのです。


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