コーヒーブレイク:名古屋弁は消滅するのか
2017.01.24 岡田定晴
懐かしい風情(作曲:Amacha) |

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○交通機関の発達で名古屋弁を話さない地域の人との交流が増えた
新幹線のぞみで、首都圏との時間的な距離が短縮されました。また、在来線の乗車時間が短縮されたり、高速道路網が整備されるなど、 昔に比べて短時間での移動が可能になりました。この結果、名古屋弁を話さない地域の人が転入してきたり、一緒に仕事をする機会が増えました。
○名古屋弁を使うべき人が、意識的に名古屋弁を使わない
この傾向は、私が子供の頃、今から50年以上前に既にありました。「恥ずかしいからそれ止めやー」とか「名古屋弁では女性にモテんぞ」とか周囲から言われて、 名古屋弁を話すことを多くの人が自らセーブしてしまいました。父が、「あーそうきゃーも」と言うのを母が聞いて、それを止めさせようとしていました。 関西弁を話す人は、どこでも堂々としていて、決して関西弁を捨てないのに。名古屋では「みゃーみゃー」言っていると、テレビで言われたことの影響も 大きかったかもしれません。
○全国的なチェーン店も多くあり、店員が話す言葉がマニュアル化されている
使われる言葉だけでなく、アクセントも完全に標準語です。スターバックスに入ったら、東京と同じ言葉づかいで、メニューも価格も同じでした。 ブランド店、デパート、レストラン、居酒屋、専門店、・・・、どこに行っても名古屋弁を聞くことができません。 標準語は、センスが良く質が高い印象を与えます。名古屋弁で話したら、商品価値が下がって、お客さんが逃げてしまうかもしれないからでしょうか。
○インターネット、テレビ、新聞、ラジオなどのメディアの影響
普段接するメディアでは、名古屋弁に接する機会が殆どありません。昔は、テレビもラジオもローカル放送では、多くはありませんが名古屋弁を聞く機会がありました。 名古屋の役者さんやタレントが、ドラマやラジオの生放送で名古屋弁を喋っていました。 しかし、今ではテレビやラジオでも昔ほど名古屋弁を聞きません。そして、地下鉄に乗れば、首都圏と同じように半分以上の人がスマホの画面を見ています。 twitterやfacebookやyoutubeでは、標準語に引きずり込まれていくのでしょう。若者同士の共通語が飛び交っているのでしょう。
両親が健在な間は、「電話で両親と話したり、名古屋の実家に帰ると、いつの間にか名古屋弁を喋っていた。」と妻にからかわれたりしました。 が、もう話す相手はいません。先月、高校の同窓会がありましたが、友人が話している言葉のほとんどが標準語でした。 私の世代でこのような状況ですから、子供や孫の世代はどんどん標準語に近づいています。 地下鉄や喫茶店での会話を耳をそばだてて聴いていると、アクセントは名古屋弁のような感じですが、話す単語は標準語です。 喫茶店で、女性二人がWiFiの話をしていました。「やっと会社がWiFiを付けてくれた。」と、言葉もアクセントもほぼ標準語で話していました。 二人のとなりで、乳母車に乗った幼児が、不思議なくらいじっとスマホに目を凝らし、おとなしく動画を見ていました。 親も子供もこうですから、昔のように「ようよと、きゃーしゃが、ワイーフャー付けてちょーだゃーした。」とは、もう絶対に喋れないでしょうね。
「こっちー いりゃー」「あんぼようやってや」「やっとかめだなも」「はよまわしせんか」など、 名古屋弁でなければ伝わらないニュアンスが失われていきます。そのことに多少なりともICT(情報通信技術) も関係しているのではないかということは、私を空しい気分にさせます。 私は社会人になると、名古屋を離れて名古屋弁も話すことなく、技術職としてICTにも深くかかわってきたからです。
世界に約6000ある言語のうち約2500の言語が消滅の危機にあり、ユネスコの調査では、日本でも、アイヌ語や八重山語など 8言語が消滅の危機にあると聞いたことがあります。本州、九州、四国の方言は独立した言語と認識されていないため、 この中には分類されていませんが、なんとなく、ふるさとの言葉が消えていくような気がする今日この頃です。 消滅の危機にある世界の言語も、同じような理由で消えていくのでしょうか。 ふるさとの言葉を守るために、いったい何ができるのか。考え込んでしまいます。 いずれにせよ、名古屋市長がいくら頑張っても、多くの人が話さなくなった名古屋弁は消滅の危機 にあるのではないかと不安に思ってしまうのです。