ラジオ
2017.05.01 岡田定晴
あの日に帰れたら(作曲:Amacha) |

昼寝から目が覚めると、ラジオからコマーシャルが流れてきました。テレビ放送は始まっていましたが、自宅にも近所の家にも未だテレビはなく、 ラジオを聴くことが楽しみでした。ラジオから人の声が聞こえると、この箱の中に人が居るのではないかと不思議に思ったことがあります。
どのような放送が流れていたか、今でもはっきり覚えているのは、サンビシ醤油の歌、丸栄デパートや松坂屋のコマーシャル、ペギー葉山の「南国土佐をあとにして」、 島倉千代子の「東京だよおっかさん」などの歌謡曲、CBC(中部日本放送)の「朝の童謡(子供が番組に応募して童謡を歌いそれが放送される)」 などの番組です。

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小学校高学年から中学にかけて、コイルとバリコンとゲルマニウム整流器とクリスタルイヤホンだけでラジオを作って遊んでいました。 真空管もトランジスタも使わずにラジオが聴けることに感動しました。中学1年(昭和40年)のとき並3ラジオ、中学2年で5球スーパー、アマチュア無線の短波受信機(トリオ9R-59D)、 短波送信機(トリオTXー88D)などを自作しました。線で繋がっていないのに音が聞こえる、自分の声を遠くに伝えることができることに興味を持ちました。
ここまでは、中波ラジオのAM(振幅変調)でした。その後、ノイズが無く高音質な超短波の周波数変調(FM変調) による放送が、昭和44年に始まっていたようですが、私は受験期にあたっていたため縁がありませんでした。 ラジカセ(ラジオとカセットテープレコーダーが一体となった装置)の時代を経て、 テレビの1~3チャンネルの音声も聞ける小型ラジオやカード型ラジオも登場しました。 昭和の終わりから、平成の一桁のころまでだったでしょうか。
2000年のBSデジタル放送の開始と同時に、BSデジタルラジオも始まりましたが、初期の頃は珍しくて聴きましたが、 その後いつの間にか聴かなくなってしまいました。 外国電波の混信がなく安定して聴けることや、災害時の情報源となっているのがインターネットラジオです。 2010年ころからでしょうか。今は、誰もがラジオ受信機を持っている時代ではありません。 誰もがスマホやタブレットを持ち歩く時代です。このような時代に、インターネットラジオはとても役に立つものです。 インターネット接続環境があれば特殊な装置は必要なく聴けるものですが、 昔のラジオの形をしたものや、USBプラグ対応のインターネットラジオ受信機もあり、 世界中のラジオ局やテレビ局の音声放送を聴くことができる時代になりました。 短波受信機で、フェージングや電波ノイズを受けながら、聴きにくい外国の電波を受けて喜んだ昔が懐かしくなります。
