なぜ独創的な技術を評価・育成できないのか

2017.12.14 岡田定晴
 深い川(作曲:Amacha)

SDメモリー  11月23日(木)NHK総合テレビ 『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』を 見ました。『ブレイブ 勇敢なる者』は、”勇気”を持って世界を変えた、知られざる日本人の姿に迫る と紹介されています(ブレイブ 勇敢なる者)。
「硬骨エンジニア」では、フラッシュメモリーを開発した舛岡さんについて、 開発チームに居たかつての部下の方々や舛岡さんを尊敬しているアメリカの技術者が語り、 開発秘話や人間ドラマが浮き彫りになりました。開発チームは会社に多大な貢献をしたのですが、 私は、『日本ではなぜ独創的な技術を開発しながら評価されないのか、大きく育てることができないのか。』という ことを改めて考えさせられることになりました。同時に、世界初のマイクロコンピュータの開発に重要な役割を果たした嶋正利氏や、 半導体レーザー・光ファイバー・FET(静電誘導トランジスタ)ほか多くの業績を残す東北大学の西沢潤一氏、 青色発光ダイオードを発明した中村修二氏のことなども思い出しました。

 フラッシュメモリーは、電源を切ってもデータが残る小型低消費電力のメモリーとして、 スマートフォン、USBメモリー、SDメモリー、SSD(ハードディスクのメモリー版)、 デジタルカメラやムービーの記憶媒体(SDメモリー)、パソコン、電化製品、自動車、 SUICAやPASMOなどのICカード、クレジットカードなどに使われています。 もし、フラッシュメモリーが無かったら、今のようなICT(情報通信技術)の恩恵を 受けることは無かったかもしれません。モバイル機器は、重量や消費電力や容量が大きく、 使いづらいものになっていたでしょう。ハイビジョン動画の記録媒体にメモリー が使われるなど、全く考えられないことでした。

 『産業の米』と言われる半導体の中でも、重要な役割を果たすフラッシュメモリーが 日本企業(東芝)から生まれたこと、シリコンバレーにあるコンピューター歴史博物館に そのことが記録されていることを、日本人として誇りに思います。しかしそれと同時に、 日本企業の『技術の可能性を見極める能力の無さ』や『革新的な新しいものを創造する人への低い評価』 について、フラッシュメモリーの場合もそうだったのかと感じました。 コンピュータ歴史博物館のページにもそのことが記されていました。

1) Inventing Memory, but Feeling Forgotten     2) Oral History of Fujio Masuoka
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 東芝は1984年にフラッシュメモリーを発表。インテルがいち早くフラッシュメモリ事業部をつくって東芝は後追いになる。 それでも舛岡氏は、NOR型からスピードの遅いNAND型のフラッシュメモリに転換し、 低価格化、性能を向上、コストの大幅に削減、大容量化を達成して、1991年にNADN型フラッシュメモリーを製品化します。 1991年2月に舛岡氏の最大の理解者が逝去し、他の上長が来てNANDの将来性が疑問視された。 1993年に舛岡氏は部下も研究費もない役職へ昇進。研究開発できるポジションではなくなり、1994年に東芝を辞めて東北大学教授へ。 一方、1994年にNAND型フラッシュメモリーの量産化が始まり、2000年に価格が下がり、需要が一気に拡大する。 2017年、東芝メモリ四日市工場では、全世界の1/3のフラッシュメモリーを生産している。30年かけて非常識が常識になった。 (放送内容を抜粋・引用したものです)

 番組では、自由闊達な職場環境の中で、非常識と言われたNAND型フラッシュメモリーの開発を成功に導いた 開発チームの状況をわかりやすく描いています。そして、その環境が崩れていく様子も描かれています。 番組の最後に、「こういう連中がいて、今の東芝がある。東芝がNANDフラッシュメモリーで生きている。 やることはやった。これで終わり。」という舛岡さんの言葉で締めくくられています。

 フラッシュメモリーの話から外れますが、今年10月のCEATEC2017のあるセッションで、パネリストから、 「バブル崩壊以降、リストラばかりやってきた。リストラ上手が経営者。新規事業を開発した経営者はいない。」 「事業からの撤退は簡単で短期間に成果を出せる。」「事業を作っても評価されるのは次の世代。割に合わない。」 という発言を聞きました。全てがそうではないと思いますが、新しい事業を育てたり人材育成をする苦労をしなかった人が経営者になれば、 『無駄な事業をカットしたり、効率化を図ったほうが業績が目につきやすい。新しい事業を育てることは、 自分の評価にはつながらない。効率の悪い仕事である。自分は評価されず、将来、部下が評価されるものである。』と 考えるのも自然なことでしょう。企業存続のためにリストラが避けられない場合もあるでしょうが、そうでないケースも 多いでしょう。

 時代を牽引していく重要な技術やチャンスを獲得しながらもそれを活かすことができなという事態や、新しい事業を 育てることができないという状況は、リストラとは別に、日本固有の事情もあると思われます。 それは、周囲との調和や、組織としての秩序を保つこと、集団で力を発揮すること、平等や平準化などといった考えが 支配的なこと、技術に無理解であること・・・などであると思われます。これらは、高品質な製品を大量生産する時代には プラスに働いたものの、独創的な価値を生むものが求められる今の時代にはブレーキとして働いてしまうのではないでしょうか。 このブレーキによって生じた損失は、目には見えませんが莫大なものではないかと残念に思う次第です。 こうなるのも、「日本人が狩猟民族ではなく農耕民族として生きてきたから」と思えてなりません。

 いずれにしても、私が長年見聞きした経験からは、レベルの違いこそありますが、日本中の企業で同じような失敗 (独創的なものの価値を評価できない。苦労して新しい芽を育てて、いざこれからというときに、 開発チームがバラバラになってしまう。)が繰り返されています。企業の経営者が過去の事例を真剣に研究し、 これまでの不幸を繰り返さないためのあり方を考えて実践することは、多くの技術者の独創性や意欲を向上させ、 日本をより豊かな社会にすることに繋がっていくものと確信しています。


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