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 花のき村と盗人たち

        新美南吉


   一



 むかし、はなのきむらに、五人組にんぐみ盗人ぬすびとがやってました。

 それは、若竹わかたけが、あちこちのそらに、かぼそく、ういういしい緑色みどりいろをのばしている初夏しょかのひるで、松林まつばやしでは松蝉まつぜみが、ジイジイジイイといていました。

 盗人ぬすびとたちは、きたからかわ沿ってやってました。はなのきむらぐちのあたりは、すかんぽやうまごやしのえたみどり野原のはらで、子供こどもうしあそんでおりました。これだけをても、このむら平和へいわむらであることが、盗人ぬすびとたちにはわかりました。そして、こんなむらには、おかねやいい着物きものったいえがあるにちがいないと、もうよろこんだのでありました。

 かわやぶしたながれ、そこにかかっている一つの水車すいしゃをゴトンゴトンとまわして、むら奥深おくふかくはいっていきました。

 やぶのところまでると、盗人ぬすびとのうちのかしらが、いいました。 「それでは、わしはこのやぶのかげでっているから、おまえらは、むらのなかへはいっていって様子ようすい。なにぶん、おまえらは盗人ぬすびとになったばかりだから、へまをしないようにをつけるんだぞ。かねのありそうないえたら、そこのいえのどのまどがやぶれそうか、そこのいえいぬがいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。いいか釜右ヱ門かまえもん。」 「へえ。」 と釜右ヱ門かまえもんこたえました。これは昨日きのうまでたびあるきの釜師かましで、かま茶釜ちゃがまをつくっていたのでありました。 「いいか、海老之丞えびのじょう。」 「へえ。」 と海老之丞えびのじょうこたえました。これは昨日きのうまで錠前屋じょうまえやで、家々いえいえくら長持ながもちなどのじょうをつくっていたのでありました。 「いいか角兵ヱかくべえ。」 「へえ。」 とまだ少年しょうねん角兵ヱかくべえこたえました。これは越後えちごから角兵ヱ獅子かくべえじしで、昨日きのうまでは、家々いえいえしきいそとで、逆立さかだちしたり、とんぼがえりをうったりして、一もんもんぜにもらっていたのでありました。 「いいか鉋太郎かんなたろう。」 「へえ。」 と鉋太郎かんなたろうこたえました。これは、江戸えどから大工だいく息子むすこで、昨日きのうまでは諸国しょこくのおてら神社じんじゃもんなどのつくりをまわり、大工だいく修業しゅぎょうしていたのでありました。 「さあ、みんな、いけ。わしは親方おやかただから、ここで一服いっぷくすいながらまっている。」

 そこで盗人ぬすびと弟子でしたちが、釜右ヱ門かまえもん釜師かましのふりをし、海老之丞えびのじょう錠前屋じょうまえやのふりをし、角兵ヱかくべえ獅子ししまいのようにふえをヒャラヒャラらし、鉋太郎かんなたろう大工だいくのふりをして、はなのきむらにはいりこんでいきました。

 かしらは弟子でしどもがいってしまうと、どっかとかわばたのくさうえこしをおろし、弟子でしどもにはなしたとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、盗人ぬすびとのようなかおつきをしていました。これは、ずっとまえからつけや盗人ぬすびとをしてたほんとうの盗人ぬすびとでありました。 「わしも昨日きのうまでは、ひとりぼっちの盗人ぬすびとであったが、今日きょうは、はじめて盗人ぬすびと親方おやかたというものになってしまった。だが、親方おやかたになってると、これはなかなかいいもんだわい。仕事しごと弟子でしどもがしててくれるから、こうしてころんでっておればいいわけである。」 とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。

 やがて弟子でし釜右ヱ門かまえもんもどってました。 「おかしら、おかしら。」

 かしらは、ぴょこんとあざみのはなのそばからからだこしました。 「えいくそッ、びっくりした。おかしらなどとぶんじゃねえ、さかなあたまのようにこえるじゃねえか。ただかしらといえ。」

 盗人ぬすびとになりたての弟子でしは、 「まことにあいすみません。」 とあやまりました。 「どうだ、むらなか様子ようすは。」 とかしらがききました。 「へえ、すばらしいですよ、かしら。ありました、ありました。」 「なにが。」 「おおきいいえがありましてね、そこの飯炊めしたがまは、まず三ぐらいはける大釜おおがまでした。あれはえらいぜにになります。それから、おてらってあったかねも、なかなかおおきなもので、あれをつぶせば、まず茶釜ちゃがまが五十はできます。なあに、あっしのくるいはありません。うそだとおもうなら、あっしがつくってせましょう。」 「馬鹿馬鹿ばかばかしいことに威張いばるのはやめろ。」 とかしらは弟子でししかりつけました。 「きさまは、まだ釜師根性かましこんじょうがぬけんからだめだ。そんな飯炊めしたがまがねなどばかりてくるやつがあるか。それになんだ、そのっている、あなのあいたなべは。」 「へえ、これは、その、いえまえとおりますと、まきの木がきにこれがかけてしてありました。るとこの、しりあながあいていたのです。それをたら、じぶんが盗人ぬすびとであることをついわすれてしまって、このなべ、二十もんでなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」 「なんというまぬけだ。じぶんのしょうばいは盗人ぬすびとだということをしっかりはらにいれておらんから、そんなことだ。」 と、かしらはかしららしく、弟子でしおしえました。そして、 「もういっぺん、むらにもぐりこんで、しっかりなおしてい。」 とめいじました。釜右ヱ門かまえもんは、あなのあいたなべをぶらんぶらんとふりながら、またむらにはいっていきました。

 こんどは海老之丞えびのじょうがもどってました。 「かしら、ここのむらはこりゃだめですね。」 と海老之丞えびのじょうちからなくいいました。 「どうして。」 「どのくらにも、じょうらしいじょうは、ついておりません。子供こどもでもねじきれそうなじょうが、ついておるだけです。あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」 「こっちのしょうばいというのはなんだ。」 「へえ、……錠前じょうまえ……。」 「きさまもまだ根性こんじょうがかわっておらんッ。」 とかしらはどなりつけました。 「へえ、あいすみません。」 「そういうむらこそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。くらがあって、子供こどもでもねじきれそうなじょうしかついておらんというほど、こっちのしょうばいに都合つごうのよいことがあるか。まぬけめが。もういっぺん、なおしてい。」 「なるほどね。こういうむらこそしょうばいになるのですね。」 と海老之丞えびのじょうは、感心かんしんしながら、またむらにはいっていきました。

 つぎにかえってたのは、少年しょうねん角兵ヱかくべえでありました。角兵ヱかくべえは、ふえきながらたので、まだやぶこうで姿すがたえないうちから、わかりました。 「いつまで、ヒャラヒャラとらしておるのか。盗人ぬすびとはなるべくおとをたてぬようにしておるものだ。」 とかしらはしかりました。角兵ヱかくべえくのをやめました。 「それで、きさまはなにたのか。」 「かわについてどんどんきましたら、花菖蒲はなしょうぶにわいちめんにかせたちいさいいえがありました。」 「うん、それから?」 「そのいえ軒下のきしたに、あたま眉毛まゆげもあごひげもまっしろなじいさんがいました。」 「うん、そのじいさんが、小判こばんのはいったつぼでもえんしたかくしていそうな様子ようすだったか。」 「そのおじいさんが竹笛たけぶえいておりました。ちょっとした、つまらない竹笛たけぶえだが、とてもええがしておりました。あんな、不思議ふしぎうつくしいははじめてききました。おれがききとれていたら、じいさんはにこにこしながら、三つながきょくをきかしてくれました。おれは、おれいに、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやってせました。」 「やれやれだ。それから?」 「おれが、そのふえはいいふえだといったら、笛竹ふえたけえている竹藪たけやぶおしえてくれました。そこのたけつくったふえだそうです。それで、おじいさんのおしえてくれた竹藪たけやぶへいってました。ほんとうにええ笛竹ふえたけが、なん百すじも、すいすいとえておりました。」 「むかしたけなかから、きんひかりがさしたというはなしがあるが、どうだ、小判こばんでもちていたか。」 「それから、またかわをどんどんくだっていくとちいさい尼寺あまでらがありました。そこではなとうがありました。おにわにいっぱいひとがいて、おれのふえくらいのおおきさのお釈迦しゃかさまに、あまちゃをかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱいましてもらってました。ちゃわんがあるならかしらにもっててあげましたのに。」 「やれやれ、なんというつみのねえ盗人ぬすびとだ。そういうひとごみのなかでは、ひとのふところやたもとをつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおしてい。そのふえはここへいていけ。」

 角兵ヱかくべえしかられて、ふえくさなかへおき、またむらにはいっていきました。

 おしまいにかえってたのは鉋太郎かんなたろうでした。 「きさまも、ろくなものはなかったろう。」 と、きかないさきから、かしらがいいました。 「いや、金持かねもちがありました、金持かねもちが。」 と鉋太郎かんなたろうこえをはずませていいました。金持かねもちときいて、かしらはにこにことしました。 「おお、金持かねもちか。」 「金持かねもちです、金持かねもちです。すばらしいりっぱないえでした。」 「うむ。」 「その座敷ざしき天井てんじょうたら、さつますぎ一枚板いちまいいたなんで、こんなのをたら、うちの親父おやじはどんなによろこぶかもれない、とおもって、あっしはとれていました。」 「へっ、面白おもしろくもねえ。それで、その天井てんじょうをはずしてでもかい。」

 鉋太郎かんなたろうは、じぶんが盗人ぬすびと弟子でしであったことをおもしました。盗人ぬすびと弟子でしとしては、あまりかなかったことがわかり、鉋太郎かんなたろうはバツのわるいかおをしてうつむいてしまいました。

 そこで鉋太郎かんなたろうも、もういちどやりなおしにむらにはいっていきました。 「やれやれだ。」 と、ひとりになったかしらは、くさなか仰向あおむけにひっくりかえっていいました。 「盗人ぬすびとのかしらというのもあんがいらくなしょうばいではないて。」







   二



 とつぜん、 「ぬすとだッ。」 「ぬすとだッ。」 「そら、やっちまえッ。」 という、おおぜいの子供こどもこえがしました。子供こどもこえでも、こういうことをいては、盗人ぬすびととしてびっくりしないわけにはいかないので、かしらはひょこんとびあがりました。そして、かわにとびこんでこうぎしげようか、やぶなかにもぐりこんで、姿すがたをくらまそうか、と、とっさのあいだにかんがえたのであります。

 しかし子供達こどもたちは、縄切なわきれや、おもちゃの十手じってをふりまわしながら、あちらへはしっていきました。子供達こどもたち盗人ぬすびとごっこをしていたのでした。 「なんだ、子供達こどもたちあそびごとか。」 とかしらはいがぬけていいました。 「あそびごとにしても、盗人ぬすびとごっことはよくないあそびだ。いまどきの子供こどもはろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきがおもいやられる。」

 じぶんが盗人ぬすびとのくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、またくさなかにねころがろうとしたのでありました。そのときうしろから、 「おじさん。」 とこえをかけられました。ふりかえってると、七さいくらいの、かわいらしいおとこうしをつれてっていました。かおだちのひんのいいところや、手足てあししろいところをると、百姓ひゃくしょう子供こどもとはおもわれません。旦那衆だんなしゅうっちゃんが、下男げなんについてあそびにて、下男げなんにせがんで仔牛こうしたせてもらったのかもれません。だがおかしいのは、とおくへでもいくひとのように、しろちいさいあしに、ちいさい草鞋わらじをはいていることでした。 「このうしっていてね。」

 かしらがなにもいわないさきに、子供こどもはそういって、ついとそばにて、あか手綱たづなをかしらのにあずけました。

 かしらはそこで、なにかいおうとしてくちをもぐもぐやりましたが、まだいいさないうちに子供こどもは、あちらの子供こどもたちのあとをってはしっていってしまいました。あの子供こどもたちの仲間なかまになるために、この草鞋わらじをはいた子供こどもはあとをもずにいってしまいました。

 ぼけんとしているあいだにうしたされてしまったかしらは、くッくッとわらいながらうしました。

 たいていうしというものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、っているのがやっかいなものですが、このうしはまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだおおきなをしばたたきながら、かしらのそばに無心むしんっているのでした。 「くッくッくッ。」 とかしらは、わらいがはらなかからこみあげてくるのが、とまりませんでした。 「これで弟子でしたちに自慢じまんができるて。きさまたちが馬鹿ばかづらさげて、むらなかをあるいているあいだに、わしはもううしをいっぴきぬすんだ、といって。」

 そしてまた、くッくッくッとわらいました。あんまりわらったので、こんどはなみだました。 「ああ、おかしい。あんまりわらったんでなみだやがった。」

 ところが、そのなみだが、ながれてながれてとまらないのでありました。 「いや、はや、これはどうしたことだい、わしがなみだながすなんて、これじゃ、まるでいてるのとおなじじゃないか。」

 そうです。ほんとうに、盗人ぬすびとのかしらはいていたのであります。――かしらはうれしかったのです。じぶんはいままで、ひとからつめたいでばかりられてました。じぶんがとおると、人々ひとびとはそらへんなやつがたといわんばかりに、まどをしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんがこえをかけると、わらいながらはなしあっていたひとたちも、きゅうに仕事しごとのことをおもしたようにこうをむいてしまうのでありました。いけおもてにうかんでいるこいでさえも、じぶんがきしつと、がばッとたいをひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿廻さるまわしの背中せなかわれているさるに、かきをくれてやったら、一口ひとくちもたべずにべたにすててしまいました。みんながじぶんをきらっていたのです。みんながじぶんを信用しんようしてはくれなかったのです。ところが、この草鞋わらじをはいた子供こどもは、盗人ぬすびとであるじぶんにうしをあずけてくれました。じぶんをいい人間にんげんであるとおもってくれたのでした。またこの仔牛こうしも、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛ははうしででもあるかのように、そばにすりよっています。子供こども仔牛こうしも、じぶんを信用しんようしているのです。こんなことは、盗人ぬすびとのじぶんには、はじめてのことであります。ひと信用しんようされるというのは、なんといううれしいことでありましょう。……

 そこで、かしらはいま、うつくしいこころになっているのでありました。子供こどものころにはそういうこころになったことがありましたが、あれからながあいだ、わるいきたなこころでずっといたのです。ひさしぶりでかしらはうつくしいこころになりました。これはちょうど、あかまみれのきたな着物きものを、きゅうににきせかえられたように、奇妙きみょうなぐあいでありました。

 ――かしらのからなみだながれてとまらないのはそういうわけなのでした。

 やがて夕方ゆうがたになりました。松蝉まつぜみきやみました。むらからはしろゆうもやがひっそりとながれだして、うえにひろがっていきました。子供こどもたちはとおくへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」というこえが、ほかのものおととまじりあって、ききわけにくくなりました。

 かしらは、もうあの子供こどもかえってるじぶんだとおもってっていました。あの子供こどもたら、「おいしょ。」と、盗人ぬすびとおもわれぬよう、こころよく仔牛こうしをかえしてやろう、とかんがえていました。

 だが、子供こどもたちのこえは、むらなかえていってしまいました。草鞋わらじ子供こどもかえってませんでした。むらうえにかかっていたつきが、かがみ職人しょくにんみがいたばかりのかがみのように、ひかりはじめました。あちらのもりでふくろうが、二声ふたこえずつくぎってきはじめました。

   仔牛こうしはおなかがすいてたのか、からだをかしらにすりよせました。 「だって、しようがねえよ。わしからはちちねえよ。」

 そういってかしらは、仔牛こうしのぶちの背中せなかをなでていました。まだからなみだていました。

 そこへ四にん弟子でしがいっしょにかえってました。









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   三



「かしら、ただいまもどりました。おや、この仔牛こうしはどうしたのですか。ははア、やっぱりかしらはただの盗人ぬすびとじゃない。おれたちがむらさぐりにいっていたあいだに、もうひと仕事しごとしちゃったのだね。」

 釜右ヱ門かまえもん仔牛こうしていいました。かしらはなみだにぬれたかおられまいとしてよこをむいたまま、 「うむ、そういってきさまたちに自慢じまんしようとおもっていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。これにはわけがあるのだ。」 といいました。 「おや、かしら、なみだ……じゃございませんか。」 と海老之丞えびのじょうこえとしてききました。 「この、なみだてものは、はじめるとるもんだな。」 といって、かしらはそでをこすりました。 「かしら、よろこんでくだせえ、こんどこそは、おれたち四にん、しっかり盗人根性ぬすっとこんじょうになってさぐってまいりました。釜右ヱ門かまえもんきん茶釜ちゃがまのあるいえを五けんとどけますし、海老之丞えびのじょうは、五つの土蔵どぞうじょうをよくしらべて、がったくぎぽんであけられることをたしかめますし、大工だいくのあッしは、こののこぎりなんなくれる家尻やじりを五つましたし、角兵ヱかくべえ角兵ヱかくべえでまた、足駄あしだばきでえられるへいを五つました。かしら、おれたちはほめていただきとうございます。」 と鉋太郎かんなたろう意気いきごんでいいました。しかしかしらは、それにこたえないで、 「わしはこの仔牛こうしをあずけられたのだ。ところが、いまだに、りにないのでよわっているところだ。すまねえが、おまえら、わけして、あずけていった子供こどもさがしてくれねえか。」 「かしら、あずかった仔牛こうしをかえすのですか。」 と釜右ヱ門かまえもんが、のみこめないようなかおでいいました。 「そうだ。」 「盗人ぬすびとでもそんなことをするのでごぜえますか。」 「それにはわけがあるのだ。これだけはかえすのだ。」 「かしら、もっとしっかり盗人根性ぬすっとこんじょうになってくだせえよ。」 と鉋太郎かんなたろうがいいました。

 かしらは苦笑にがわらいしながら、弟子でしたちにわけをこまかくはなしてきかせました。わけをきいてれば、みんなにはかしらの心持こころもちがよくわかりました。

 そこで弟子でしたちは、こんどは子供こどもをさがしにいくことになりました。 「草鞋わらじをはいた、かわいらしい、七つぐれえの男坊主おとこぼうずなんですね。」 とねんをおして、四にん弟子でしっていきました。かしらも、もうじっとしておれなくて、仔牛こうしをひきながら、さがしにいきました。

 つきのあかりに、野茨のいばらとうつぎのしろはながほのかにえているむらよるを、五にん大人おとな盗人ぬすびとが、一ぴき仔牛こうしをひきながら、子供こどもをさがしてあるいていくのでありました。

 かくれんぼのつづきで、まだあの子供こどもがどこかにかくれているかもれないというので、盗人ぬすびとたちは、みみずのいている辻堂つじどうえんしたかきうえや、物置ものおきなかや、いいにおいのする蜜柑みかんのかげをさがしてみたのでした。ひとにきいてもみたのでした。

 しかし、ついにあの子供こどもあたりませんでした。百姓達ひゃくしょうたち提燈ちょうちんれてて、仔牛こうしをてらしてたのですが、こんな仔牛こうしはこのあたりではたことがないというのでした。 「かしら、こりゃっぴてさがしてもむだらしい、もうしましょう。」 と海老之丞えびのじょうがくたびれたように、みちばたのいしこしをおろしていいました。 「いや、どうしてもさがして、あの子供こどもにかえしたいのだ。」 とかしらはききませんでした。 「もう、てだてがありませんよ。ただひとつのこっているてだては、村役人むらやくにんのところへうったえることだが、かしらもまさかあそこへはきたくないでしょう。」 と釜右ヱ門かまえもんがいいました。村役人むらやくにんというのは、いまでいえば駐在巡査ちゅうざいじゅんさのようなものであります。 「うむ、そうか。」 とかしらはかんがえこみました。そしてしばらく仔牛こうしあたまをなでていましたが、やがて、 「じゃ、そこへこう。」 といいました。そしてもうあるきだしました。弟子でしたちはびっくりしましたが、ついていくよりしかたがありませんでした。

 たずねて村役人むらやくにんいえへいくと、あらわれたのは、はなさきちかかるように眼鏡めがねをかけた老人ろうじんでしたので、盗人ぬすびとたちはまず安心あんしんしました。これなら、いざというときに、つきとばしてげてしまえばいいとおもったからであります。

 かしらが、子供こどものことをはなして、 「わしら、その子供こども見失みうしなってこまっております。」 といいました。

 老人ろうじんは五にんかおまわして、 「いっこう、このあたりで見受みうけぬひとばかりだが、どちらからまいった。」 とききました。 「わしら、江戸えどから西にしほうへいくものです。」 「まさか盗人ぬすびとではあるまいの。」 「いや、とんでもない。わしらはみなたび職人しょくにんです。釜師かまし大工だいく錠前屋じょうまえやなどです。」 とかしらはあわてていいました。 「うむ、いや、へんなことをいってすまなかった。お前達まえたち盗人ぬすびとではない。盗人ぬすびとものをかえすわけがないでの。盗人ぬすびとなら、ものをあずかれば、これさいわいとくすねていってしまうはずだ。いや、せっかくよいこころで、そうしてとどけにたのを、へんなことをもうしてすまなかった。いや、わしは役目やくめがら、ひとうたがうくせになっているのじゃ。ひとさえすれば、こいつ、かたりじゃないか、すりじゃないかとおもうようなわけさ。ま、わるくおもわないでくれ。」 と老人ろうじんはいいわけをしてあやまりました。そして、仔牛こうしはあずかっておくことにして、下男げなん物置ものおきほうへつれていかせました。 「たびで、みなさんおつかれじゃろ、わしはいまいいさけをひとびん西にしやかた太郎たろうどんからもらったので、つきながら縁側えんがわでやろうとしていたのじゃ。いいとこへみなさんこられた。ひとつつきあいなされ。」

 ひとの老人ろうじんはそういって、五にん盗人ぬすびと縁側えんがわにつれていきました。

 そこでさけをのみはじめましたが、五にん盗人ぬすびと一人ひとり村役人むらやくにんはすっかり、くつろいで、十ねんもまえからのいのように、ゆかいにわらったりはなしたりしたのでありました。

 するとまた、盗人ぬすびとのかしらはじぶんのなみだをこぼしていることにがつきました。それを老人ろうじん役人やくにんは、 「おまえさんは上戸じょうごえる。わしはわら上戸じょうごで、いているひとるとよけいわらえてる。どうかわるおもわんでくだされや、わらうから。」 といって、くちをあけてわらうのでした。 「いや、この、なみだというやつは、まことにとめどなくるものだね。」 とかしらは、をしばたきながらいいました。

 それから五にん盗人ぬすびとは、おれいをいって村役人むらやくにんいえました。

 もんて、かきのそばまでると、なにおもしたように、かしらがちどまりました。 「かしら、なにわすれものでもしましたか。」 と鉋太郎かんなたろうがききました。 「うむ、わすれもんがある。おまえらも、いっしょにもういっぺんい。」 といって、かしらは弟子でしをつれて、また役人やくにんいえにはいっていきました。 「御老人ごろうじん。」 とかしらは縁側えんがわをついていいました。 「なんだね、しんみりと。上戸じょうごのおくのるかな。ははは。」 と老人ろうじんわらいました。 「わしらはじつは盗人ぬすびとです。わしがかしらでこれらは弟子でしです。」

 それをきくと老人ろうじんをまるくしました。 「いや、びっくりなさるのはごもっともです。わしはこんなことを白状はくじょうするつもりじゃありませんでした。しかし御老人ごろうじんこころのよいおかたで、わしらをまっとうな人間にんげんのようにしんじていてくださるのをては、わしはもう御老人ごろうじんをあざむいていることができなくなりました。」

 そういって盗人ぬすびとのかしらはいままでしてたわるいことをみな白状はくじょうしてしまいました。そしておしまいに、 「だが、これらは、昨日きのうわしの弟子でしになったばかりで、まだなにわるいことはしておりません。お慈悲じひで、どうぞ、これらだけはゆるしてやってください。」 といいました。

 つぎあさはなのきむらから、釜師かまし錠前屋じょうまえや大工だいく角兵ヱ獅子かくべえじしとが、それぞれべつのほうていきました。四にんはうつむきがちに、あるいていきました。かれらはかしらのことをかんがえていました。よいかしらであったとおもっておりました。よいかしらだから、最後さいごにかしらが「盗人ぬすびとにはもうけっしてなるな。」といったことばを、まもらなければならないとおもっておりました。

 角兵ヱかくべえかわのふちのくさなかからふえひろってヒャラヒャラとらしていきました。







   四



 こうして五にん盗人ぬすびとは、改心かいしんしたのでしたが、そのもとになったあの子供こどもはいったいだれだったのでしょう。はなのきむら人々ひとびとは、むら盗人ぬすびとなんからすくってくれた、その子供こどもさがしてたのですが、けっきょくわからなくて、ついには、こういうことにきまりました、――それは、土橋どばしのたもとにむかしからあるちいさい地蔵じぞうさんだろう。草鞋わらじをはいていたというのがしょうこである。なぜなら、どういうわけか、この地蔵じぞうさんには村人むらびとたちがよく草鞋わらじをあげるので、ちょうどそのあたらしいちいさい草鞋わらじ地蔵じぞうさんのあしもとにあげられてあったのである。――というのでした。

 地蔵じぞうさんが草鞋わらじをはいてあるいたというのは不思議ふしぎなことですが、なかにはこれくらいの不思議ふしぎはあってもよいとおもわれます。それに、これはもうむかしのことなのですから、どうだって、いいわけです。でもこれがもしほんとうだったとすれば、はなのきむら人々ひとびとがみなこころ人々ひとびとだったので、地蔵じぞうさんが盗人ぬすびとからすくってくれたのです。そうならば、また、むらというものは、こころのよい人々ひとびとまねばならぬということにもなるのであります。











底本:「ごんぎつね・夕鶴 少年少女日本文学館第十五巻」講談社
   1986(昭和61)年4月18日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第13刷発行
初出:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部
   1943(昭和18)年9月30日
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
1999年10月25日公開
2012年5月8日修正
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