朗読者からのコメント 「ごん狐」





 「ごん狐」には、日本が近代化される以前の、昔の田舎の風景や人物等が描かれています。

 いたずらばかりしていたひとりぼっちの狐「ごん」も、兵十の母親の死を知って、後悔します。 「兵十」が病気の母親に食べさせようと捕った魚やウナギを、いたずらをして逃がしたからです。 その償いの気持ちから、いわしを盗んで兵十の家に投げ込みます。でも兵十はいわし屋から殴られて傷を負います。 ごんは、自分で採った栗や松茸を、毎日兵十の家にこっそり届けます。でも、ごんの気持ちは、兵十には伝わりません。 兵十は、友人が言うように、神様が届けてくれると思います。 ごんが家に入るのを見た兵十は、いたずらをしに来たと思い、銃でごんを撃ってしまいます。 兵十が、ごんにかけよったとき、土間にある栗を見て、ごんの気持ちを理解します。 「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずく。



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 「いたずら狐」という印象を持たれてしまうと、ずっとそのフィルターをかけて見られるということでしょうか。 サラリーマンの世界でも、10年も20年も経っていても、若い頃の印象で見てしまうことがあるでしょう。 いくら能力を磨いて業績を残しても、普段一緒に仕事をしていなければ、昔の印象しかありません。 自分も、サラリーマンの時に、兵十と同じようなことをしていなかったろうか、 自分の考えを支持し一生懸命に働いた人に報いることができたのか、 事実に気付いた兵十とは違い、自分は気付くことがなかったのだろうかと心配になります。

 「ごん狐」を読んで、こんなことをふと思うのですが、朗読は、登場する「ごん」や「兵十」に なりきって、彼らの気持ちを表現しました。
(18分57秒)


岡田定晴


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