朗読者からのコメント 「恩讐の彼方に 三」





 市九郎は遁走の中途、美濃国の浄願寺に駆け込み懺悔をしましたが、上人から仏道に帰依し身命を捨てて 人々を救うと共に自分自身を救うのが肝心だと諭され、出家し、仏道修行に励みます。そして、諸人救済の 大願を起こし旅に出ました。畿内から中国を通り、ひたすら善根を積みましたが、それまでの悪行を償いきれる ものではありませんでした。



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 享保九年の秋、豊前の国宇佐八幡宮に参拝し、羅漢寺に詣でようと山国川の渓谷に沿って歩いているとき、 鎖渡しという難所で馬もろとも川に落ちて非業の死を遂げた人を見守る村人たちに出会いました。 市九郎はこの不幸な遭難者に経を読むと鎖渡しに向かい、丸太を鎖で連ねた桟道を岸壁に縋りながら渡りました。 そのとき、市九郎には、絶壁を掘り貫いてこの難所を除き、多くの人の命を救おうという誓願が浮かびます。

 市九郎の勧進に、誰も耳を傾けないのを知り、市九郎は石工の持つ槌とのみとを手に入れて、 大絶壁を一人で掘り貫こうとしました。行路の人々は嗤笑の言葉を止めませんでしたが、市九郎は、自ら掘った穴が 自分の精進の力が如実に現れていることが嬉しく、ふるい立つのでした。いつの間にか、里人たちは市九郎に 同情するようになっていきます。九年目の終わりに一人の力で二十二間まで掘られたことに、その事業性に気付き、 村人は市九郎の事業を援けるために数人の石工を雇います。しかし、工事の進み具合が遅く、落胆し、石工は いなくなってしまいます。
 三年後、全長六十五間、大岩壁の三分の一が主として市九郎によって貫かれたことがわかり、市九郎に 対する尊崇の心が復活し、十人に近い石工が加わります。しかし、再び市九郎ひとりになってしまいます。

 十八年目の終わりには、岸壁の二分の一を穿っていた。里人がこの奇跡を見ると、過去二回の懈怠を 恥じ、三十人に近い石工を集め、工事は枯葉を焼く火のように進みます。人々は衰残の姿いたいたしい市九郎に、 自ら槌を振るわずに石工の統領をするように勧めても、以前と変わらず懸命の力を尽くした。 身命に対する執着は無かったが、道半ばにしてたおれることを何よりも無念と思い、懸命に槌を振うのでした。

 主として、市九郎の心の動きが伝わるように朗読しました。
(30分00秒)


岡田定晴


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