はがきと手紙はまだ必要

2019.08.10 岡田定晴
 7月の水平線(作曲:Amacha)

 8月1日「手紙が書けない子ども増加 SNS普及が背景に」というニュースが流れていました。 全国学力テストの中学校国語で、手紙の書き方を尋ねた問題の正答率が57.4%で、 宛名と住所の位置を逆に書いたものや、住所に続けてメールアドレスを記したものなどがあったそうです。 平成24年度の正答率は74.2%なので、それから17ポイントも下げています。

年賀はがきの発行数はピークだった平成15年度から4割以上も減少し、 今回の結果はSNSの普及で、子どもたちが手紙を書く機会が減ったことが背景にあると思われること、 また「手書きの手紙でしか伝えられない気持ちはある。将来、手紙の良さは見直されると思うので、 子どもたちは大切にしてほしい。」との専門家の見解を伝えていました。

届いたはがき
 私自身、メールを使い始めてから、はがきや手紙を書くことは殆ど無くなりました。
ただ、年賀状、お礼、感謝、お祝い、弔意など、自分の気持ちを伝えたい時、 年に数回「形」として記録の残る「はがきや手紙や電報」を使っていました。

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 そんな中、6月下旬から8月上旬にかけて「はがきや手紙はまだ必要」と感じる出来事が3回もありました。 上の写真は、仕事でお付き合いをしたことのある方から届いたはがきです。 私の自宅から歩いて15分から20分の距離にお住まいの方ですが、私のメールアドレスが分からず、 知らせて欲しいとの内容でした。同じ会社で働いて定年になり、同じ地域に住んでいる人たちが 定期的に集まって情報交換をしているとのことでした。

 その会は、今から20年くらい前に始まり、最盛期は14~15名が集まっていたそうですが、 最近は数名になっていました。もうすぐ90歳という大先輩から70代の人たちの中に、 年金受給が始まって間もない私が加わることになりました。勤めていた会社が同じで 同じ地域に住んでいるという人のつながりは、何かプラスになることがあると思ったからです。

送ったはがき
 その会で話しているうちに、新しく参加できる人は居ないだろうかと尋ねられ、 私が紹介することになりました。でも、紹介したい人のメールアドレスがわかりません。 その人と年賀状は交換していましたが、メールアドレスの記録はありません。 私が受け取ったのと同じようなはがきを書いて、その人から私宛にメールを送ってもらうしかありません。

メールアドレスが分かっていればすぐ解決する問題も、はがきを書いてその返事を待つのは、 かなりの時間を要します。普段、キーボードを使い手書きの文章を書くことが無いので、 はがきを書くこと自体にかなりの時間がかかります。62円の切手も必要になります。 メールの無かった時代には、これが当たり前だったのでしょう。時間がゆったり流れていた筈です。



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受け取った封筒

 もう1件、あるイベントへの招待状と参加申込書、イベントのリーフレットが封書で送られてきました。

記念誌の作成に際して、私が寄稿者の一人であったことからこのようなことになりました。 私にはメールで十分なのですが、私からわざわざ住所を訊いて、丁寧な書面が届きました。 返事は、勿論、メールとその添付ファイルで返しました。

丁寧な対応をしたい、ガラケーのメールしか持たない人に確実に届けたい、ということでこうした 対応をされたのでしょう。




 今や誰でもパソコンやスマホを持ち、ウェブメールや『統合情報通信システム』とも言えるLINEが普及した時代となりました。 しかし、未だ本当に『誰もが使いこなしている』と言える状況ではありません。私の同世代以上の人たち、 特に男性でICT(情報通信技術)の恩恵を受けている人は珍しい存在です。

また、自分のメールアドレスを人に知らせる努力も十分ではありません。 はがきや手紙の差出人の姓名の次に、メールアドレスを記載するということを『手紙の書き方のルール(嫌なら守る必要が無い)』とすれば、 円滑なコミュニケーションが図れるでしょう。

 「はがきや手紙」を使うという動機は、年賀状・お礼・感謝・お祝い・弔意など、自分の気持ちを伝えたいという積極的な理由以外に、 ICT(情報通信技術)の恩恵を受けられない人が居るからという消極的な理由があることに気付きました。『はがきと手紙はまだ必要』なのです。



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